韓成南です。
フツウ禁制☆ハードコアめのPOPエロ☆アートショウ
この度、韓成南は悪ノリもほどほどな映像装置を展示します。
神聖なる両刀、在日コリアン魂がほのかに香る、博打とエロの交接。
私の作品は両ギャラリーで連携プレイの展示となりますので、
どうぞpeepして下さい。
気分で、期間中の毎土曜は映像パフォ−マンスするかもしれません。(裏告知)
展示会場全体はバタ(犬)臭い、バタイユ風とご想像いただければと思います。
イロイロ系の方が来られるので、フツウな方は何卒ご遠慮下さい。
↓↓↓↓↓↓ 以下、ギャラリー企画文転載 ↓↓↓↓↓↓
エロリンテロリン
4月1日(木)〜10日(土)
13:00〜19:00
galerie ou` http://www.lepur.com/g-ou/
10w gallery http://winfo.exblog.jp/
2つのギャラリーで合同開催(galerie ou`は日休)
愛と欲望に溺れることなく、
一日だって過ごすことはできない。
それなのに…
2010年、4月。大阪の街中、とある東と西のビル最上階
が何者かによって占拠された!
春の妖気に誘い出され、
うごめくように這い出てきた七人の愛戦士たち。
どこからか聞こえてくる官能のあえぎ声、
首が変形し たなめらかな肌の女体像に
セクハラ部長がからみつ く。
ここに新たな愛の戦いがはじまる。
我々の愛【エロリン】を守るための
革命【テロリン】 がはじまるのだ。
愛は、ただの魔物ではない…。
2010年4月1日エイプリールショウ。
■galerie ou展示作家
・岡本和喜(インスタレーション)
・韓成南(映像)
■10W gallery/展示作家
・富満洋子(ファニチャー)
・ヤマゲンイワオ(版画)
・松山祐子(立体)
・韓成南(エンターテイメント・マシン)
●岡本和喜によるイベント
4月3日(土)15:00
※参加自由 会場:galerie ou`
●パフォーマンス・イベント
4月10日(土)18:00
※参加自由 会場:10wgallery
・杉浦梢(パフォーマンス)・あきこベいべ(ダンス)
2010年03月19日
★Sung Nam HAN artist's NEWS★韓成南より「エロリンテロリン」アートショウにて展示のお知らせ
posted by jona at 01:03
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| Sung Nam HAN artist's NEWS
2010年03月08日
★DIARY★修学院離宮
白川通をはずれ、修学院離宮道沿いをひたすら歩くと、妙に軽いと同時に他者を退ける、高い竹垣が見えてくる。(それでも全貌でなく。)艶のある竹垣の前で、貴人を待つとも、拒絶するとも言える態度の係員が立っていた。
霞がかった雨の日。東山魁夷の絵風の山と雲、霧。
その舞台装置と共に、私の挑んだ修学院離宮が、あった。
待ち合い室で少々待った後、御幸門から、入る。
後から聞かされたのだが、ここ数年前より、この門から参観者が入ることを許されたそうだ。形式が階級を継続させている。たとえそれを解除しても、「解放」は「禁忌であった事実を持った過去」とセットになり、際限なく差別意識を生んでいくような構図となる。
広大な敷地に住むということは、日々散歩するのにちょうど良い起伏、さらに起伏を攻略した後の絶景を所持することなのだろうか。
隣雲亭から京都市街と山を同時に眺める事ができる。ちょうどよい距離が何とも贅沢だ。
ふと足下を見ると大刈込がある。いつでも青々とし、どの季節でも、何かしらの花を愛でるためのものとしてある植え込み。不必要に思えるほど大きく左右から下へ広がっている。
遠い山と足下の山。
池をぐるりと周り、先ほどいた場所を仰ぎ見ると、大刈込の意義がわかった。
天皇は山の上に存在するということ。常にそれを意識させるための場所なのだ。
桂離宮にある芸の細かい、趣向を凝らした建築群と違い、修学院離宮は内装様式も含め雄々しい。
一見、質素な佇まいとうらはらな、寒気がする権威と傲慢を見るのは私の偏見であろうか。
当日雨が降ったので、ビデオ撮影は断念した。写真を撮るのもままならなかったのだが、やがて雨でよかったと感謝した。軒下の竹の発見であった。
雨水が縦半分に切った竹の先からこぼれ落ち、白い石を沈ませ、やがてちいさな池をつくる。もし、豪雨であったら、竹全体から水があふれ、滝のカーテンが見れるのだろうか。
家の中は滝に囲まれた、別次元へ隔離されたスペースへと変貌する。外の世界の様相も水を通して変貌する。
きっと、雨の日が楽しくてしかたがないだろう。
隅から隅まで、あますことなく美を感じさせる工夫が潜んでいる。先人の美的感覚に懸命に目線を合わせると、まったく違う経験ができる。アートをより楽しむには、その努力が必要なのだ。三角の岩を庭に置き、富士山とする等。西洋的シンボルへのアプローチの仕方と異なっている。
それらのように、日本は他国と比べ、飛び抜けた美的感覚が息づいている。だけどそこが、たまに肩を凝らせたりもするのだが…
梁の端が白く塗られている。色々と調べてみたが理由がわからない。
でも、どこかで見た事があるので、デザイン以外の意味があるのだと思う。
田舎の垣根は低く、都会は高いとされる。外敵の多さに比重して。それは万国共通である。この竹の横木を見てみると、当たり前だが、「ここから先へは侵入禁止」というシンボルである。簡単にまたいで向こう側に行けるのに、こちら側をなぜか躊躇わせる。たとえ高くなくても、越えることが許されないと学習した者は、なかなかあちら側に行けない。「超えることは禁ずる」というシンボルによる命令と実際に高い垣根。どちらが、どうか。この比較をこれからさらに追求していきたい。

隣雲亭を浴龍池の南側より臨む。

隣雲亭から浴龍池と大刈込を臨む。

ディテールその1、軒下。

ディテールその2、梁の端が白塗り。

ディテールその3、竹の結界。
霞がかった雨の日。東山魁夷の絵風の山と雲、霧。
その舞台装置と共に、私の挑んだ修学院離宮が、あった。
待ち合い室で少々待った後、御幸門から、入る。
後から聞かされたのだが、ここ数年前より、この門から参観者が入ることを許されたそうだ。形式が階級を継続させている。たとえそれを解除しても、「解放」は「禁忌であった事実を持った過去」とセットになり、際限なく差別意識を生んでいくような構図となる。
広大な敷地に住むということは、日々散歩するのにちょうど良い起伏、さらに起伏を攻略した後の絶景を所持することなのだろうか。
隣雲亭から京都市街と山を同時に眺める事ができる。ちょうどよい距離が何とも贅沢だ。
ふと足下を見ると大刈込がある。いつでも青々とし、どの季節でも、何かしらの花を愛でるためのものとしてある植え込み。不必要に思えるほど大きく左右から下へ広がっている。
遠い山と足下の山。
池をぐるりと周り、先ほどいた場所を仰ぎ見ると、大刈込の意義がわかった。
天皇は山の上に存在するということ。常にそれを意識させるための場所なのだ。
桂離宮にある芸の細かい、趣向を凝らした建築群と違い、修学院離宮は内装様式も含め雄々しい。
一見、質素な佇まいとうらはらな、寒気がする権威と傲慢を見るのは私の偏見であろうか。
当日雨が降ったので、ビデオ撮影は断念した。写真を撮るのもままならなかったのだが、やがて雨でよかったと感謝した。軒下の竹の発見であった。
雨水が縦半分に切った竹の先からこぼれ落ち、白い石を沈ませ、やがてちいさな池をつくる。もし、豪雨であったら、竹全体から水があふれ、滝のカーテンが見れるのだろうか。
家の中は滝に囲まれた、別次元へ隔離されたスペースへと変貌する。外の世界の様相も水を通して変貌する。
きっと、雨の日が楽しくてしかたがないだろう。
隅から隅まで、あますことなく美を感じさせる工夫が潜んでいる。先人の美的感覚に懸命に目線を合わせると、まったく違う経験ができる。アートをより楽しむには、その努力が必要なのだ。三角の岩を庭に置き、富士山とする等。西洋的シンボルへのアプローチの仕方と異なっている。
それらのように、日本は他国と比べ、飛び抜けた美的感覚が息づいている。だけどそこが、たまに肩を凝らせたりもするのだが…
梁の端が白く塗られている。色々と調べてみたが理由がわからない。
でも、どこかで見た事があるので、デザイン以外の意味があるのだと思う。
田舎の垣根は低く、都会は高いとされる。外敵の多さに比重して。それは万国共通である。この竹の横木を見てみると、当たり前だが、「ここから先へは侵入禁止」というシンボルである。簡単にまたいで向こう側に行けるのに、こちら側をなぜか躊躇わせる。たとえ高くなくても、越えることが許されないと学習した者は、なかなかあちら側に行けない。「超えることは禁ずる」というシンボルによる命令と実際に高い垣根。どちらが、どうか。この比較をこれからさらに追求していきたい。

隣雲亭を浴龍池の南側より臨む。

隣雲亭から浴龍池と大刈込を臨む。

ディテールその1、軒下。

ディテールその2、梁の端が白塗り。

ディテールその3、竹の結界。
2010年02月23日
★ART REVIEW★吉原治良賞記念アート・プロジェクト2009mini by Karin Pisaricova
勤務先のランチタイムに、大阪府立現代美術センターへと足を運ぶ。
公募展『吉原治良賞記念アート・プロジェクト2009 mini』で選ばれた、チェコ出身の作家“カリン・ピサリコヴァ”氏が個展をしていた。
「大阪の町と人」をテーマに「過程は最高の結果と同じくらい重要」という趣旨で賞を勝ち取ったそうだ。
本日が初日であった。
たまたま作家本人もいたので、見終わったらいろいろ聞いてみようと思ったが、どこかに行ってしまった。
個展のモチーフをくらげとし、日本留学中の不安定な自身と重ね合わせ、日常のビニール傘を球状に作ったオブジェや人毛で作られたくらげの形のかまくらのようなもの、天井から地上に映し出される映像、海辺の写真で構成されている。
人毛の集積はクラクフ近くのアウシュビッツを思い起こさせる。
アウシュビッツで最もショックを受けたのは、人毛であった。
ガラス越しに、人毛が堆く積まれていた。
ナチスが牛の皮のように人体の一部を商品とするために、集めていたのだった。
あれを見ると、ナチスは人を家畜としていかに利用するか真剣に考えていたのがわかる。五感でわかってしまう。
無名の集合を避けるためか、ユダヤ人収容所であった場は、死亡または殺された人のモノクロの写真が壁に並べられていて、「その他多数」をあたかも拒否をしているかのようであった。
歴史は個人の集合であり、偉人でない限り、個人は歴史とならない。
カリン・ピサリコヴァはそれらの象徴を意識しているのだろうか。
彼女は思わせぶりに、人の毛を(おそらく)チェコの地図の上にくらげの触手として配置していた。天井から投影される足下の地図は不鮮明で、作家が地区を特定しているのであれば、完全な失敗である。不明瞭な領域をそのままにしておくことは、彼女の他の作品も曖昧にしてしまう。「ミシュラン風の地図が写っている」という、その状況のみが重要であれば、中途半端な耽美主義である。手を抜く事と、力が抜けている事の大きな違いを発見するいい機会であった。
受付にあった、彼女のポートレートを見ると、
Nationality:Czech Republic
とあった。
今回の展覧会での日本語の紹介文では
チェコ出身
とあった。
似て非なる表現。
アウシュビッツで頭がいっぱいの私はどうしても国が気になった。
ポートレートに「国籍」を書くのは当たり前なのであろうか。
不思議な習慣である。
容姿が整った作家、それが特に女性のアーティストであればマヤ・デレンを目指してほしい。
正装した紳士が長テーブルで食事をしている中で、マヤ・デレンはテーブルを四つん這いで画面に向かってくる。
マヤ・デレンと談笑している紳士同士、互いの存在は気に留めない。
このシーンのマヤ・デレンは観賞者に押さえがたい感情を抱かせる。
映像が形而上的な人間の美である様を記録しているからだ。
photos by Sung Nam HAN
authorization to photos from Osaka Contemporary Art Center Reception

公募展『吉原治良賞記念アート・プロジェクト2009 mini』で選ばれた、チェコ出身の作家“カリン・ピサリコヴァ”氏が個展をしていた。
「大阪の町と人」をテーマに「過程は最高の結果と同じくらい重要」という趣旨で賞を勝ち取ったそうだ。
本日が初日であった。
たまたま作家本人もいたので、見終わったらいろいろ聞いてみようと思ったが、どこかに行ってしまった。
個展のモチーフをくらげとし、日本留学中の不安定な自身と重ね合わせ、日常のビニール傘を球状に作ったオブジェや人毛で作られたくらげの形のかまくらのようなもの、天井から地上に映し出される映像、海辺の写真で構成されている。
人毛の集積はクラクフ近くのアウシュビッツを思い起こさせる。
アウシュビッツで最もショックを受けたのは、人毛であった。
ガラス越しに、人毛が堆く積まれていた。
ナチスが牛の皮のように人体の一部を商品とするために、集めていたのだった。
あれを見ると、ナチスは人を家畜としていかに利用するか真剣に考えていたのがわかる。五感でわかってしまう。
無名の集合を避けるためか、ユダヤ人収容所であった場は、死亡または殺された人のモノクロの写真が壁に並べられていて、「その他多数」をあたかも拒否をしているかのようであった。
歴史は個人の集合であり、偉人でない限り、個人は歴史とならない。
カリン・ピサリコヴァはそれらの象徴を意識しているのだろうか。
彼女は思わせぶりに、人の毛を(おそらく)チェコの地図の上にくらげの触手として配置していた。天井から投影される足下の地図は不鮮明で、作家が地区を特定しているのであれば、完全な失敗である。不明瞭な領域をそのままにしておくことは、彼女の他の作品も曖昧にしてしまう。「ミシュラン風の地図が写っている」という、その状況のみが重要であれば、中途半端な耽美主義である。手を抜く事と、力が抜けている事の大きな違いを発見するいい機会であった。
受付にあった、彼女のポートレートを見ると、
Nationality:Czech Republic
とあった。
今回の展覧会での日本語の紹介文では
チェコ出身
とあった。
似て非なる表現。
アウシュビッツで頭がいっぱいの私はどうしても国が気になった。
ポートレートに「国籍」を書くのは当たり前なのであろうか。
不思議な習慣である。
容姿が整った作家、それが特に女性のアーティストであればマヤ・デレンを目指してほしい。
正装した紳士が長テーブルで食事をしている中で、マヤ・デレンはテーブルを四つん這いで画面に向かってくる。
マヤ・デレンと談笑している紳士同士、互いの存在は気に留めない。
このシーンのマヤ・デレンは観賞者に押さえがたい感情を抱かせる。
映像が形而上的な人間の美である様を記録しているからだ。
photos by Sung Nam HAN
authorization to photos from Osaka Contemporary Art Center Reception

2010年02月22日
★DIARY★my family〜 味の素〜
普段あまり音楽は聞かないのだが、自分のモチベーションを上げるために、気分転換に、たまに聞く。ほとんど眠気覚ましなのだが。
そんなわけで、私のiTunesの音楽ストックは悲しいほど少ない。
(だれか音ください。)
ですが!!こんな音楽無精の私が唯二で大好きなのが、
オーストラリアのラジオ
'FBI'
http://www.fbiradio.com/content.php/753.html
(日本もせめてひとつぐらいこんなラジオ作ればいいのに。)
と、
'Ubu web'
http://www.ubu.com/sound/podcast.html
である。
'Ubu web'はとにかくえげつなく素晴らしいサイトなのだが、
検索して聞いて、検索して聞いてという行程がちょっぴし、面倒だなと感じていた。
すると、いつの日か覗くと、podcastが聞けるように!!ぐあっメルシボク!!
気がつくと4時間は聞いてしまう。
どどっと漏れてくる、様々に尖った音x音に、いきなり日本語が聞こえた!
と思ったら、
「my family〜 味の素〜」
・・・気が抜ける。
歌の主は、andy williamsだそうだ。
CDいろいろ出してるみたい。
多少ハッピーにしてくれる。
私は全然知りませんが、ぜひ聞いてみて下さい。
そんなわけで、私のiTunesの音楽ストックは悲しいほど少ない。
(だれか音ください。)
ですが!!こんな音楽無精の私が唯二で大好きなのが、
オーストラリアのラジオ
'FBI'
http://www.fbiradio.com/content.php/753.html
(日本もせめてひとつぐらいこんなラジオ作ればいいのに。)
と、
'Ubu web'
http://www.ubu.com/sound/podcast.html
である。
'Ubu web'はとにかくえげつなく素晴らしいサイトなのだが、
検索して聞いて、検索して聞いてという行程がちょっぴし、面倒だなと感じていた。
すると、いつの日か覗くと、podcastが聞けるように!!ぐあっメルシボク!!
気がつくと4時間は聞いてしまう。
どどっと漏れてくる、様々に尖った音x音に、いきなり日本語が聞こえた!
と思ったら、
「my family〜 味の素〜」
・・・気が抜ける。
歌の主は、andy williamsだそうだ。
CDいろいろ出してるみたい。
多少ハッピーにしてくれる。
私は全然知りませんが、ぜひ聞いてみて下さい。