2010年03月08日

★DIARY★修学院離宮

白川通をはずれ、修学院離宮道沿いをひたすら歩くと、妙に軽いと同時に他者を退ける、高い竹垣が見えてくる。(それでも全貌でなく。)艶のある竹垣の前で、貴人を待つとも、拒絶するとも言える態度の係員が立っていた。

霞がかった雨の日。東山魁夷の絵風の山と雲、霧。
その舞台装置と共に、私の挑んだ修学院離宮が、あった。

待ち合い室で少々待った後、御幸門から、入る。
後から聞かされたのだが、ここ数年前より、この門から参観者が入ることを許されたそうだ。形式が階級を継続させている。たとえそれを解除しても、「解放」は「禁忌であった事実を持った過去」とセットになり、際限なく差別意識を生んでいくような構図となる。

広大な敷地に住むということは、日々散歩するのにちょうど良い起伏、さらに起伏を攻略した後の絶景を所持することなのだろうか。
隣雲亭から京都市街と山を同時に眺める事ができる。ちょうどよい距離が何とも贅沢だ。
ふと足下を見ると大刈込がある。いつでも青々とし、どの季節でも、何かしらの花を愛でるためのものとしてある植え込み。不必要に思えるほど大きく左右から下へ広がっている。
遠い山と足下の山。
池をぐるりと周り、先ほどいた場所を仰ぎ見ると、大刈込の意義がわかった。
天皇は山の上に存在するということ。常にそれを意識させるための場所なのだ。
桂離宮にある芸の細かい、趣向を凝らした建築群と違い、修学院離宮は内装様式も含め雄々しい。
一見、質素な佇まいとうらはらな、寒気がする権威と傲慢を見るのは私の偏見であろうか。

当日雨が降ったので、ビデオ撮影は断念した。写真を撮るのもままならなかったのだが、やがて雨でよかったと感謝した。軒下の竹の発見であった。
雨水が縦半分に切った竹の先からこぼれ落ち、白い石を沈ませ、やがてちいさな池をつくる。もし、豪雨であったら、竹全体から水があふれ、滝のカーテンが見れるのだろうか。
家の中は滝に囲まれた、別次元へ隔離されたスペースへと変貌する。外の世界の様相も水を通して変貌する。
きっと、雨の日が楽しくてしかたがないだろう。

隅から隅まで、あますことなく美を感じさせる工夫が潜んでいる。先人の美的感覚に懸命に目線を合わせると、まったく違う経験ができる。アートをより楽しむには、その努力が必要なのだ。三角の岩を庭に置き、富士山とする等。西洋的シンボルへのアプローチの仕方と異なっている。
それらのように、日本は他国と比べ、飛び抜けた美的感覚が息づいている。だけどそこが、たまに肩を凝らせたりもするのだが…

梁の端が白く塗られている。色々と調べてみたが理由がわからない。
でも、どこかで見た事があるので、デザイン以外の意味があるのだと思う。

田舎の垣根は低く、都会は高いとされる。外敵の多さに比重して。それは万国共通である。この竹の横木を見てみると、当たり前だが、「ここから先へは侵入禁止」というシンボルである。簡単にまたいで向こう側に行けるのに、こちら側をなぜか躊躇わせる。たとえ高くなくても、越えることが許されないと学習した者は、なかなかあちら側に行けない。「超えることは禁ずる」というシンボルによる命令と実際に高い垣根。どちらが、どうか。この比較をこれからさらに追求していきたい。

shuugakuin1
隣雲亭を浴龍池の南側より臨む。

shuugakuin3
隣雲亭から浴龍池と大刈込を臨む。

shuugakuin5
ディテールその1、軒下。

shuugakuin4
ディテールその2、梁の端が白塗り。

shuugakuin2
ディテールその3、竹の結界。
posted by jona at 01:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | DIARY
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