2010年02月23日

★ART REVIEW★吉原治良賞記念アート・プロジェクト2009mini by Karin Pisaricova

勤務先のランチタイムに、大阪府立現代美術センターへと足を運ぶ。

公募展『吉原治良賞記念アート・プロジェクト2009 mini』で選ばれた、チェコ出身の作家“カリン・ピサリコヴァ”氏が個展をしていた。

「大阪の町と人」をテーマに「過程は最高の結果と同じくらい重要」という趣旨で賞を勝ち取ったそうだ。

本日が初日であった。
たまたま作家本人もいたので、見終わったらいろいろ聞いてみようと思ったが、どこかに行ってしまった。

個展のモチーフをくらげとし、日本留学中の不安定な自身と重ね合わせ、日常のビニール傘を球状に作ったオブジェや人毛で作られたくらげの形のかまくらのようなもの、天井から地上に映し出される映像、海辺の写真で構成されている。

人毛の集積はクラクフ近くのアウシュビッツを思い起こさせる。
アウシュビッツで最もショックを受けたのは、人毛であった。
ガラス越しに、人毛が堆く積まれていた。
ナチスが牛の皮のように人体の一部を商品とするために、集めていたのだった。
あれを見ると、ナチスは人を家畜としていかに利用するか真剣に考えていたのがわかる。五感でわかってしまう。
無名の集合を避けるためか、ユダヤ人収容所であった場は、死亡または殺された人のモノクロの写真が壁に並べられていて、「その他多数」をあたかも拒否をしているかのようであった。
歴史は個人の集合であり、偉人でない限り、個人は歴史とならない。
カリン・ピサリコヴァはそれらの象徴を意識しているのだろうか。
彼女は思わせぶりに、人の毛を(おそらく)チェコの地図の上にくらげの触手として配置していた。天井から投影される足下の地図は不鮮明で、作家が地区を特定しているのであれば、完全な失敗である。不明瞭な領域をそのままにしておくことは、彼女の他の作品も曖昧にしてしまう。「ミシュラン風の地図が写っている」という、その状況のみが重要であれば、中途半端な耽美主義である。手を抜く事と、力が抜けている事の大きな違いを発見するいい機会であった。

受付にあった、彼女のポートレートを見ると、
Nationality:Czech Republic
とあった。
今回の展覧会での日本語の紹介文では
チェコ出身
とあった。

似て非なる表現。
アウシュビッツで頭がいっぱいの私はどうしても国が気になった。
ポートレートに「国籍」を書くのは当たり前なのであろうか。
不思議な習慣である。

容姿が整った作家、それが特に女性のアーティストであればマヤ・デレンを目指してほしい。
正装した紳士が長テーブルで食事をしている中で、マヤ・デレンはテーブルを四つん這いで画面に向かってくる。
マヤ・デレンと談笑している紳士同士、互いの存在は気に留めない。
このシーンのマヤ・デレンは観賞者に押さえがたい感情を抱かせる。
映像が形而上的な人間の美である様を記録しているからだ。

photos by Sung Nam HAN
authorization to photos from Osaka Contemporary Art Center Reception

Karin2.jpg

Karin1.jpg
posted by jona at 16:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | ART REVIEW